信じられないくらいの豪快なジャンプだった。セカンドカットに出ていくのが、少し遅すぎた。しかも物凄くワイドな位置に出てしまったので、だれもが、これは拒否するに違いない、と思った。
だが、当人にとっては、2本とも失敗して、これが最後のジャンプだ。簡単にバーを離してしまうわけにはいかず、とりあえず思いきりスキーを回し込んでみた。ジャンプ台がとんでもない位置に見え、サイドのエプロンだけが迫ってくる。それでもあきらめずに引っ張り続けたのは、自分でも驚くほどスキーが水を噛んで加速していたからだ。ウェーキを越えるころには怖いほどのスピードがつき、まっすぐにジャンプ台の右隅へと突き進んでいく。少しでも怯んだら、間違いなくマクレる。思いきり蹴るんだ。と、思う間もなくジャンプ台を通過していた。
拒否するなどということは思い付かなかった。右足にショックがあった。スピードについていけず、体が少し遅れた。やむをえず、上体を少し前へ折ってスキーが煽るのを抑える。今まで経験がないほどの高さに上がってしまい、両手で持っているバーがぐいぐいと引かれる。だが、なんとかバランスは保っているようだ。着水までの時間が長い。いつもの倍もかかるような気がする。その間にフォームは楽に立て直すことができた。ほっという安堵と歓喜がわきあがってくるのは同時だった。
無事着水することができたが、何か右のスキーの抵抗が大きい。ひっかかるような感じだ。そのまま、ピットへ戻ってスキーを点検すると、右スキーのフィンが半分無くなっている。右足に感じたショックはエプロンにぶつかったせいだったのだ!
もともとジャンプが好きだったわけではない。ただ、身長が185cm、体重が90kgと体格に恵まれていたために、いつも周りからは、お前はジャンプ向きだ、と言われていた。大学2年の春にバイクで転倒して腕を折った。壊れたレーサーレプリカを片腕で起こしてバイク屋まで押していったというのは、今でも語り草だが、その時の怪我がもとで、1シーズンを棒にふってしまった。そのうちに仲間たちはスラロームやトリックがうまくなってしまい、彼に残されたレギュラーポジションはジャンプだけだった、というわけだ。3年の夏はジャンプだけを嫌になるほど飛ばされた。その年のティームではスラロームとトリックのメンバーは余るくらいで、ジャンプだけが弱点だったのだ。勿論、そのおかげで彼のジャンプも伸びたことは事実だ。大会でもそこそこの結果を残したので、来年のあいつのジャンプは楽しみだという期待感が実力以上に高まってしまった。
ジャンプスキーを2本肩に担ぎ、片手に濡れたヘッドギアをぶら下げて、川の土手へと戻ってくると、みんなが口々に褒めてくれる。「ジャンプだけが取柄だからな。」と、軽く応えてスーツを脱ごうとすると、あのうるさいコーチが呼んでいる。仕方なく半分脱ぎかけたまま、バスタオルを持ってコーチの前へ走っていく。何を言われるかは大体わかっていたので、1年に頼んで今はいていたジャンプスキーをとりにいかせる。
コーチは無理に冷静さを装って、注文をつけにかかる。 「いいか、あの位のスピードに負けてちゃダメなんだ!まだ蹴り遅れてるぞ。台前で姿勢を高く。お前はちょっとカットが詰まると上げりになるじゃないか。あの位ならまだ余裕はあるぞ。」彼は、届いたジャンプスキーを裏側に向けて言う。 「いえ、あれが僕の限界です。エプロンから入りました。」折れたフィンを見ると、さすがにコーチも言葉に詰まった。ざまあみろだ。
だが、コーチが言いたいこともよくわかる。今のままではやはりだめだ。といってもカットはあれ以上詰められない。コーチの言うようにボディーポジションを修正する余地はあるのだろう。だが、ポジションというのはそう簡単になおるものではない。最後の試合までの短い間にへんに滑りを崩したくはない。ようするに、これ以上ジャンプの飛距離を伸ばすにはどうすればいいのか、コーチにも彼にもわからないのだ。仲間のところへ戻ると、今のやりとりがみんなにも伝わったらしい。折れたフィンを見せ合って大騒ぎだ。信じられない、とか、凄い奴だ、とか言っているところへ、今日の練習試合はわずかな差で彼らの大学の勝ちだ、とうニュースが伝えられたからたまらない。一躍彼はヒーロー扱いだ。胴上げだ、という。彼が嫌がるのも聞かず、下級生達がドッと群がってくる。しつこいほど、何度も胴上げをくりかえしながら、彼を河へほうり込むつもりだ。今日がインカレだったら良かったのに。と、彼は思った。さっきのジャンプは明らかに今の彼の限界を越えていた。あしたから、どんなジャンプをしたら、みんなを納得させることができるのだろうか。
何度も何度も空中に舞いながら、ジャンプのスペシャリストは憂鬱だった。
Sotaro Inoue
井上壮太郎
SOTAROS@ocean.or.jp戻る