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バイクを愛してしまったら、手入れしてあげたくなるのは自然なこと。


 
 
2024.07.14

【父の夢・僕の夢】

Flying Feather(エフエフ)

         text & photos: Sotaro Inoue (President of iB)
         photos: Junichi Okumura

 


このクルマをご存知の方はいらっしゃるでしょうか。
運転席の父。助手席の姉。父の膝の上に立ち風防ガラスにつかまり立ちをして喜んでいるのが自分です。
クルマは住江製作所「フライングフェザー」(エフエフ)。1950年代中頃に わずか200台ほど作られたという軽自動車のハシりです。
 
今年のはじめ、現存する同種のクルマに会える機会があるとお声がけをいただき、60数年ぶりに再会を果たしました。



今回拝見した「エフエフ」はこんな感じのクルマです。排気量は350cc、二人乗りで最高速は70kmほど出たようです。
 

写真はその昔エフエフに乗って出かけた父が同じ設計者の手になる「フジキャビン」と言う車に出会って、お互いに相手の車を覗き込んでいるところなのだそうです。

 
エフエフについての詳しい情報は下記をご参照ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/住江製作所・フライングフェザー
 
この頃、父は小さなクルマに興味があったようで、小さな車が出るたびに
次々に 購入していたようです。スバル360/ホンダS800/トヨタスポーツ800などなど。
父はおそらくそれに乗りたかっただけではなく、自分で小さな車を開発して作ってみたかった、それが夢だったのだろうと思います。亡くなる前にもよく、小型の3輪車のスケッチなどをしていました。今のスケート式のバイクの様なものも描いていました。
僕は「そんなもの作ったって売れやしないよ。」などと取り合わなかったのですが、今考えると申し訳なかったような気がします。もっと真剣に話を聞いてみればよかった。
 
ふと気づくと、今の自分もホンダ・ビートなんかに乗って、これが最高のクルマだなどと言って喜んでいるではないですか。

血は争えないのかもしれませんね。
 
幌屋根の軽自動車で二人乗りのエンジンが後ろにあるスポーツカー。 ビートはまさにエフエフの後継車だったのかもしれません。
(
エフエフは名前に似合わず駆動形式はRRなんです!(^o^))
 
iBのエフエフはその後、当時の新宿本社前の明治通りに夜間に駐めておいたところ、朝になって職人が「社長、大変だ〜!」と言って2階に駆け上がってくるので何かと思って父が見にいくと、ダンプにでもぶつけられたのか、エフエフはペシャンコになっていて、そのまま廃車になってしまったのだそうです。残念。
 
旧い貴重なクルマをコレクションしておられるオーナーの林さん。奇しくも下のお名前が父と同じ克己さんとおっしゃいます。
本当に素晴らしいコレクションで、またクルマにまつわる貴重なお話・ご意見をたくさん伺うことができ、この日は自分にとってとても貴重な体験になりました。

iBの仕事は旧いエンジンのついた乗り物を未来に残していくことだ、と考えています。旧いクルマやオートバイは 人類の繁栄を支えてきた歴史の一部であり、それぞれのクルマは貴重な文化遺産でもあります。


iBの仕事が少しでもそのようなお役に立てるとしたら、それこそが今の自分にとっては夢です。iBはこれからもエンジンボーリングなどの内燃機加工の仕事やICBM®などの技術によって旧いエンジンを末長く良い状態で残す仕事を続けていきたいと思います。
 
そして、僕はやはり父から多くのものを受け継いでいたのだ、と認めざるを得ません。そして、それをなんとかして未来に繋げていかなくてはならないのです。そのことを強く感じさせられました。
 
実はこの見学は今年の1月にさせていただいたものでした。すぐにもレポートを書きたかったのですが、この内容の重さをどうお伝えしていいか、今も納得のいく文章にはまったくならず、悶々としています。それでこんなに遅くなってしまいました。
 

お集まりになったのは、クルマの未来を正しく憂うる方達です。

 
今回の貴重な機会にお声がけをいただいたカメラマン奥村純一さん、オーナーの林克己さん、同席していただき貴重なお話を聞かせていただいた小林大樹さん、 瀬木 貴正さんに心より御礼申し上げます。