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バイクを愛してしまったら、手入れしてあげたくなるのは自然なこと。


 
 
2024.01.03

【パラダイスで何をするのか】

         text&photos: Sotaro Inoue
            (President of iB)

 

人類に最後に残される課題はきっとこれになるのだろうと思います。
 
僕は300年後くらいまでには人類にとってのパラダイスが地上に出現することは間違いないと思っています。 いろんなデータを見ても、人類は確実に時代が進むにつれて豊かになり平和になりつつあるようです。
そのことはベストセラー
「FACTFULLNESS」https://www.amazon.co.jp/FACTFULNESS/dp/4822289605/
 
「21世紀の啓蒙」
https://www.amazon.co.jp/s?k=21世紀の啓&adgrpid=78572290039
 
といった書物によくまとめられています。
 
世界が徐々に良くなっていったその先で、いつか地上にパラダイスが出現すると、その時、人は生きていくために働く必要もなく、生活上の雑事に煩わされることも一切なくなると思います。
 
あとたった300年もあれば僕はそうなると思います。
 
さて、その時にあなたは何をしますか?
 
これが人類に残された永遠の課題になるんだろうと思うんです。
 
なんらかの災害などに遭った時や非常に貧しい社会に所属した場合など、食事をすることができない状況に置かれ、ついにあたたかな食事にありつけたとき、人はとてつもない幸福をその食事に感じるのだろうと思います。
 
ところが、今の自分の生活を考えると、食事ができただけで「幸福だ」などと感じることはできません。
 
生活になんらかの不足があったり、仕事に障害があるなどの時、人はそれを乗り越えるために努力し克服しようとします。そしてそれができた時にも達成感や幸福を感じると思います。
 
多くの物語には主人公を襲う大きな課題や困難が提示されますよね。それを超克する過程を描くのが物語だと思います。
 
でも、そのようななんらかの課題を乗り越えた、というタイプの幸福感は一時のものではないでしょうか。
 
先日はバイク乗り同士数名で話し合っていた時、そのうちの一人の知人が「自分はバイクになど乗らない。危険で煩わしく快適でもないものになぜ乗る必要があるのか。自分はもっと安楽な方法で移動したい。」と言っていた、という話になりました。その場では全員が、なんというとんでもない話だ。移動というような人にとって重要なことを人任せにしてしまうなんて、ありえない。そんな考えでいったら寝てるしかやることがなくなっちゃうじゃないか!という方向で盛り上がってしまいました。
 
ただ、日を置いて考えてみると、その人は移動に関しては安楽を求めるとしても他のことには意欲を持って煩雑さも乗り越えて充実を感じているのかもしれません。
 
今はまだ僕らはそのあたりにいます。
 
ただ、あらゆることに煩雑さも困難も無くなっているのがパラダイスだとすると、このような困難を乗り越える形の幸福感が人類から奪われてしまう、ということにもなるのではないでしょうか。
 
でも、それは困ったこと、なのでしょうか。
 
パラダイスでは人は充実を感じられない?いや、そうではないのではないか。
 
というのが今回僕が考えたことです。
むしろ、そこが出発点なのではないでしょうか。
 
欠落を埋めるのではほんとうの幸福にはならない。
困難を乗り越えるのが幸福なのではない。
 
何も困難などない、何もしなくても楽々生きて行くことができるところで、さあ、あなたは何をするのか。
 
それこそが本来、人が取り組むべき課題なのではないか。
 
困難があるというのは人類の進化がまだ不十分だった現在を含む時代のことで、困難の克服がテーマでは、時代が進むと意味のないことになってしまうのかもしれない。
 
生きるのになんの困難もないパラダイスで、あなたは何をしますか?
 

 
詩を詠むのでしょうか。絵を描く? 歌をうたう、ダンスをする、スポーツをする、バイクに乗る、小説を書く、将棋を指す、ただ寝ている?
 
僕ですか?僕はもう決まっていますよ。旧いエンジンの部品を直して、エンジンが好きな人のために尽くすんです。ははは。(^o^)