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バイクを愛してしまったら、手入れしてあげたくなるのは自然なこと。

 
 
2023.01.24

【特別寄稿】フリーライター夢野 忠則さんの
「走り続けよう、ロマンの鼓動が途絶えぬように。」

写真 (有)モアコミュニケーションズ 代表 仁部智成
 

 
昨年( 2022年)、 62歳にして大型自動二輪の免許を取得した。
 
これまでのオートバイ経験は、高校生の時に乗り回したヤマハのチャッピーとミニトレぐらいだから、流行りのリターンライダーってわけでもない、まさにオールドルーキーである。
 
チャッピーで自動車教習所に通って 18歳で普通免許を取得してからは、ずっとクルマに夢中だった。もちろんオートバイへの憧れはあったけど、クルマで遊んでいるうちにタイミングを逃してしまい、還暦を過ぎてやっと残された夢を叶えることができた次第 ……
 
もともとモノ好きな好きモノだから、今はどっぷりとオートバイの魅力にはまっていて、周りからは「クルマ馬鹿がバイク馬鹿になった」と笑われている。実際に馬鹿なのだから異論はない。ただ ……
 
「バイク馬鹿」という言葉には、ほんのりと違和感を覚える。
 

 
馬鹿とは、たとえば「リスクよりロマンを優先させる人」のことである。便利で経済的なクルマがたくさんあるにもかかわらず、不便だろうと不経済だろうと好きなクルマに乗る。それが自分のロマンだから。そういう人をクルマ馬鹿と呼ぶ。
 
だけどオートバイの場合は、オートバイに乗ることそれ自体が、すでにロマンだと思うのだ。だって、リスクだらけの乗りものなのだから。つまり、バイク馬鹿という言葉は「頭痛が痛い」と訴えているようなもので。だからクルマ馬鹿と一緒にしないでくれよ、と言いたい。
 
リスクとロマンを天秤に掛ければ、ロマンに傾く。馬鹿だね、おたがいに。
 
どっぷりとオートバイの魅力にはまってしまったのは、なんだか最近のクルマからはロマンの薫りが漂ってこなくなったから。より便利に、より快適に、より経済的に、より環境に優しく ……もはや、クルマの白物家電化は止まらない。そこにロマンはあるか?
 

 
ロマンとは、文化なのだと思う。
 
文明とは「だれもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの」、 文化は「むしろ不合理なものであり、特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊な(普遍的でない)もの」と定義づけたのは、かの司馬遼太郎先生である。
 
この定義を当てはめれば、もはやクルマは普遍的で合理的な「文明の利器」であり、一方でオートバイは不合理で特殊な「文化の糧」であると言えそうだ。もちろん、どちらが良いとか悪いといった話ではない。
 
世界中でたくさんのモノを売ろうとするなら、そのデザインや性能はロマンよりも普遍性や合理性を追い求めることになる。ようするに最大公約数なのだから、どれも似たり寄ったりになって当然である。白物家電化とは、たぶんそういうことだ。
 
クルマの普遍化が人類の進歩なら、それはそれで大事なことだろう。だけど、ならば同時に文化としてのオートバイのロマンもまた、この星の未来を照らす灯火(ともしび)であるはずだ。文明とは、移ろいゆく現実問題の解決に過ぎないのだから。
 
文化を成熟させて、夢を次の世代へと継承していくのは、大人である僕らの役割だ。その文化の積み重ねが明るい未来の一片を担っていくのだとするなら、オートバイ乗りの責任は重大である。
 
でも、それは難しいことではないはず。好きなオートバイに跨がってエンジンの鼓動を感じ、自ら操ることができる幸せを噛みしめながら、軽やかに自由に走り続けるだけだ。
 
環境問題がどうしたとか、持続可能な社会がどうのこうのとか、そんな小賢しい話しじゃない。大切なのは「ガソリンか、電気か」なんて議論よりもなによりも ……
 
楽しいか。カッコいいか。美しいか。そして、自由であるか。
 
つまりは、現代社会に失われつつある ロマンという機能 なんじゃないのか、と遅れてやって来たオールドルーキーは思うのであります。歳を重ねるほどに身にしみる、その価値の尊さよ。
 
永遠の輝きにむけて、不便を嘆く前に、不自由を恐れよ。
 
 

夢野 忠則:クルマ馬鹿を自称する謎のエッセイスト。
ハスクバーナSVARTPILEN401と今回のトライアンフBONNEVILLE T120他に乗る。
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iB井上は夢野さんの書かれる文章がほんとうに大好きで、今回無理を言って執筆していただきました。
きっかけは夢野さんが以前書かれていた「クルマ馬鹿で結構」というブログでした。毎日書かれる目が覚めるようなロマン溢れる文章に強く影響されたものでした。夢野さんがバイクに乗られるようになってWeb SHERPAに寄稿いただけたなんて「夢の」ようです。